ばうんだりー

 

うーん、疲れたな。

 

寝たりないのか、人間関係に疲れてるのか。

 

どっちもな気がする。

 

腸内環境はだいぶ良い。

食べ物や運動は気を使ってるからね

 

でも風邪気味になったりするあたり、元気ではないんだろうな~

 

さて、私は人にだいぶ期待しています。

 

今日は人に嫌われても良いと唱えながら1日過ごしたのですが、なんだか罪悪感みたいなものがわいてきちゃいました。

 

私が少し自分基準で話したり行動することが相手を気分よくさせないんじゃないか。

 

相手の機嫌をうかがう自分がおりました。

 

んで、自分からアクションを起こすのをやめて「じゃあ相手の出方を待とう」とすると、それはいつも以上に相手に期待しました。

 

罪悪感をもったり

膨らみまくった期待を持つのは

疲れるのかもしれませんね

 

もうぐったりです。

てか罪悪感の正体は相手の機嫌をうかがうところにありそうですね。

きっと相手は嫌な思いをしているだろうという思い込みを持っているし、うかがうしで、嫌われてもいいなんて少しも思えなかったです。

 

んでもう期待パラダイス。

相手の機嫌が良くなれーっていう期待ね。

 

機嫌が良くなるってのも結構抽象的だ。

たぶんだけれど、

両親の機嫌が悪いと自分が危ない、怖い、不安になってたからずっと引きずってるんだと思うんです。

 

機嫌なんてそんなに大事なのかな?

私自身を振り返ってみて、たとえ自分にとって都合の悪い出来事・嫌な事があっても立ち直ろう、笑顔を作ろうって考え行動してる。

 

 

なら他人にそこまで機嫌を気遣う必要ないんじゃないか。

感情や価値観はあくまでその人のもの。

機嫌もその人のもの。

 

私が介入する必要なんてないんじゃないか。

私の責任は私の機嫌だけを見てあげることだけじゃないだろうか。

 

追記

 

後で気付いたことなんだけど、

機嫌が変わるのは私の方だったな~と思った。

 

人と目があったり、人がそこに居ることで機嫌が変わってた。

 

そんな自分に気づけて良かったよ